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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
李世淵 (한국방송통신대)
저널정보
동양사학회 동양사학연구 東洋史學硏究 第120輯
발행연도
2012.9
수록면
307 - 350 (44page)

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本論文は、〈「敵味方供養」=怨親平等〉 ?を再考すべく、「敵味方供養」の代表的事例とされる高麗陣供養碑について考察したものである。具?的には、〈「敵味方供養」=怨親平等〉 ?についての、かつての批判を踏まえつつ、高麗陣供養碑の建立?緯を分析した上で後代の歷史認識を?討し、さらに近代のなかの前近代の存在可能性について探ってみた。本論文の、方法論上の?自性は、とくに「執拗低音」としての前近代に着目したところにある。
高麗陣供養碑の碑文を分析してみると、慈悲をもって捉えきれない供養主?の意?が?み取れる。南原·泗川の?いは、あくまでも日本軍と「大明」軍との?いと規定され、朝鮮軍?死者の存在は?い上げられなかった。朝鮮軍?死者の存在が忘却された遠因としては、神功皇后の新羅(三韓)征伐??を軸にして形作られた朝鮮蔑視?が想定され、直接的な背景としては自らの?功に箔をつけようとした島津氏の思惑が想定される。泗川の?いで討ち取った敵軍の首級が大いに水?しされていることからしても、島津氏に?功?彰の意?があったことは間違いない。要するに、高麗陣供養碑は?勝記念碑としての側面をもっていたのであり、そこには、生者中心の世界?へ傾きつつあった中·近世人の心性が刻み?まれていた。高麗陣供養碑をめぐる複?性は近世にも受け?がれ、近世人は高麗陣供養碑を慈悲·??·?勝記念の視点で眺めていた。?勝記念の視点の場合、神功皇后の新羅(三韓)征伐??を思想的基盤としており、前近代において、?勝記念碑としての高麗陣供養碑は、朝鮮蔑視?と不可分の?係にあったことがわかる。
近代に入ると、近世までの複?性は表面上消え去り、高麗陣供養碑は、まず日本社?の慈悲=「文明」を象?する史蹟と位置づけられた。とくに「文明」の??としての日露??が?機となったが、?時赤十字社長に薩摩出身の松方正義が就任していたことも注目される。高麗陣供養碑が博愛の象?として位置づけられると、同碑が日本の赤十字?約加入過程で決定的な役割を果たしたという?も流布してゆく。この根?なき?が?まったことは、近代日本社?における高麗陣供養碑の立ち所を如?に物語ってくれる。
ところで、〈高麗陣供養碑=慈悲=赤十字〉という認識が通用するなかでも、同碑をめぐる前近代的文脈は、日本社?の底?で脈打っていた。高麗陣供養碑は、前近代以?の朝鮮蔑視?を背景としつつ、耳塚とともにしばしば?勝記念碑としても目された。同じ頃、「敵味方供養」の底流をなす怨?への感?も確認でき、「敵味方供養」をめぐる「執拗低音」は近代日本社?でも響き?けた。このことは、「怨親平等論」が近代を境に?容を遂げつつも、その中世的文脈を逸しなかったことと符合するものである。

목차

머리말
Ⅰ. 고려진공양비의 건립경위와 중·근세인의 심성
Ⅱ. 고려진공양비를 둘러싼 근세인의 시각
Ⅲ. 근대일본의 ‘문명’·‘전통’과 고려진공양비
Ⅳ. ‘피아전사자공양’을 둘러싼 ‘집요저음’
맺음말
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