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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본근대학회 일본근대학연구 일본근대학연구 제40호
발행연도
2013.1
수록면
221 - 242 (22page)

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韓国で天理教に関する本格的な研究の始発としてあげられる李元範の研究は、戦後日本における新宗教、民衆宗教史研究の流れを踏むものであった。それは植民地と敗戦の問題、民衆的意識の普遍性などがその裏に問題意識として据えられていた。しかし、李の意図とは別問題として、彼が指摘していた「戦後韓国社会で残り続けられた唯一の日本系宗教としての天理教」という見解は以降、韓国の研究者の間で天理教に対する大きな前提となっていく。このような見解は、近現代宗教研究における一国史的観点として、止揚されるべき認識であるといえよう。本稿では、天理教の教義が持つ特異性や普遍性に注目することを取り敢えずは止揚し、まずは、天理教の布教現場で実践されていた「病気直し」、とくに「御供」「つとめ」「さづけ」に注目することにする。これが「病気直し」の諸形態は、今日的な目線からみれば、前近代からの信仰的要素が濃厚な、民間療法とも見受けられるような様式から、教義的な意味の正当性がしっかりと付与されたものとして変容してきた。もちろん、そこに近代国家の抑圧が絡まれていたことは言うまでもない。宗教の近代化は教団組織と教義体制の整備、布教方式の近代化のみではなく、宗教が一般的に、もしくは普遍的な要素とする「病気直し」それ自体にも近代の機制が作動していた。それによって天理教は「近代宗教」と成り得たのである。このことについては、韓国における前近代的信仰の在り方と、近代以降の変容を考察する際にも深く注意を払う必要があるだろう。

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