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한국일본사상사학회 日本思想 日本思想 제21호
발행연도
2011.1
수록면
211 - 228 (18page)

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インドに対する岡倉天心の認識は日本の仏教美術との関連を語った1890年の日本美術史から始まるが、以後大きな変化を見せた。その変化の一番大事なきっかけは1901年のインド訪問である。インドを訪問して以来変わったインド認識はそれぞれ古代インドと同時代のインドに対するものに分けて考察することができ、古代インドに対する天心の認識はベダの個人主義が生まれた地としてアジアの文明を支える二つの柱の中の一つと見なした。「東洋の理想」の最初の部分に出てくる、アジアは一つなり、という文章はまさに1901年のインド訪問がなかったら、書かれなかったといえる。一方、同時代のインドはイギリスの植民地として帝国主義の統治に苦しめられている現実からインドの若者たちを西洋帝国主義に対しての抵抗を煽り立てた。ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱という見方を前提に植民地化以前のすべてを合理化し、正当なものと捉えた。特に、「東洋の目覚め」に書かれている戦闘的アジア主義は天心の死後日本の大東亜共栄圏イデオロギーにも繋がる素地を持っていた。したがって天心のインド認識は当時のアジアの状況をもとにしながらも非常に危険な要素を抱えていたといえる。

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