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학술저널
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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제33권
발행연도
2011.1
수록면
285 - 307 (23page)

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日本浪曼派を代表する文学者である保田與重郎は、1938年5月、再び朝鮮の古都である慶州や夫餘を訪ねた。帰国後発表した朝鮮旅行記において彼は、日本の古代文化が大陸文化から大きく影響された事実を認めつつも、その事実に却って古代日本の文化的受容力の偉大さ・豊かさを見るという、逆説的な比較文化論を展開したのであった。さらに、朝鮮の風景を日本の伝統的な歌枕の系譜の中に無理やり組み込むことによって、自身の朝鮮旅行記を、古代日本への<回帰旅行>の紀行文に仕立て上げるということをしたのである。他方、同じく日本浪曼派に属した亀井勝一郎が1937年10月以来毎年のように赴いた先は、奈良の地である。ただし、彼にとって当初の奈良は、古代日本の痕跡がそれ自体として残存する日本の古都である以前に、ゲーテに示唆された「自国のローマ」であった。その意味で、ローマと換喩関係で結ばれた奈良は、マルクス主義から「日本への回帰」という両国間の転向の振幅を縮めてくれる地であると同時に、古代日本へと彼を導いてくれる地であった。このように、彼らは、紀行文というかたちで、各々のロマン的思惟の空間化を図りつつ、古代日本表象による「近代の超克」という共通の思想的・文学的課題に取り組んでいたのである。

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