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동아시아일본학회 일본문화연구 일본문화연구 제8집
발행연도
2003.4
수록면
21 - 32 (12page)

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日本と韓國の現代社會ㆍ文化にとって「日本古典文化ㆍ文學」がどのような役割を果たせるかという課題だと思いますが、私はその中で特に「文化問の對話」という問題に焦点を絞って考えていきたいと思います。「文化聞の對話」とは、二つの文化のなかでどこまで共有可能なものを見いだせるか、というのが對話の目的になると思います。過去兩國は、鎖國という特殊な歷史上の理由、また、儒敎」弘敎と民族「固有」の文化とを衝突、變容させることでそれぞれの文化傳統を生み出し、「文化聞の對話」の契機はあまり持ち得ていませんでした。中でも特に、東アジアの共通の基盤となる「經」の特殊普遍性にその根本的な原因があったと思います。東アジア文化圈は三重の同心圃で說明されます。まずその中心になるのが「中華文化圈」で、次の二層円が韓國という文化傳統國家、その外綠になるのが日本という文化傳統國家です。このような圖式は「經」の傳播の距離を示す構圖です。このように、東アジア文化圈に屬する緖國家にはそれぞれの「固有」の文化的要素があり、それが「普遍」と重層構造をなしてい ます。では、「普遍」 の古典とはなにかといえば、それは儒敎と弘敎の經典です。ここでは儒敎がもっ「普遍」の特殊性にだけ焦点を絞って考えますが、兩國のイデオロギ一として構築された儒敎體系は、そのく自己完結性〉〈自己閉鎖性〉という必然たる疎外の論理が儺いたゆえで自己尊大化と他國への蔑視を生み、外部との交流と受容を拒んできたわけです。しかし、それぞれの文化が儒敎のく自己完結性〉〈自己閉鎖性〉による疎外の論理に阻まれ て、それぞれの文化をさらに活性化させる「文化聞の對話」の契機を持ち得なかったとしても 、活性化のための「文化聞の對話」が不可能ではありません。日本の和文學の例からもわかるように、日本と韓國のそれぞれの文化傳統はまさに「普遍」からの偏差として産出されたという点に共通の基盤が見いだせると思います。これからの「文化問の對話」はその共通の基盤の 上でこそ可能なのだと思います。

목차

서론

본론

결론



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