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저자정보
保坂祐二 (세종대학교) 金秀炫 (대원외국어고등학교) 金奎植 (경기고등학교)
저널정보
한국일본문화학회 일본문화학보 日本文化學報 第 46輯
발행연도
2010.8
수록면
139 - 160 (22page)

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1840年にシ?ボルトが作成した地?のTakashima、Matsushimaは、シ?ボルトが日本で得た地?を?照にした鬱陵島(=竹島)と?島(松島)だったが、西洋人が鬱陵島を誤って測量したアルゴノ?ト島と鬱陵島を正確に測量したダジュレ?島の名前と?緯度を、それぞれ二つの島の名前の?に?記したため、島の名?が混?を起した。
西洋における鬱陵島と?島の名?混?は、フランス船が?島を?見した1847年以降に起きた。それが日本で影響を?え始めたのは、東海に3個の島が描かれた地?が日本で初めに?行された1869年以降であった。
日本政府の一部では?島の?統的な名?「松島」を19世紀半ばにはほとんど忘れていた。しかし多?の民間地?は19世紀末まで?島を「松島」という?統の名?で描いたものが多かったという事?を見る時、江?時代の?島の名?が日本人たちの頭からまったく消えたわけではなかった。
ところが日本の海軍省水路部は各『水路誌』に?島は1847年にフランス船によって初めて?見された島と記して、日本史の中の?島の?史と?統的な?島の名?(=松島)を無視したまま、先ず「朝鮮東岸」に?島を「リヤンコ?ルト列岩」と記載した。しかし水路部が?行した『?瀛水路誌』や『朝鮮水路誌』は、「リヤンコ?ルト列岩」(=?島)の?緯度を朝鮮の領土の外と記した。日本の?者たちはそれを指摘しながら、1905年以前に日本は?島を朝鮮領土と思ったことがないと主張する。しかし『水路誌』の朝鮮の範?から鬱陵島も除かれているので、日本の作成した朝鮮の範?自?に問題がある。
ところで1876年に日本の外務省は、西洋人の名付けた「リヤンコ?ルト列岩」という名?の島は「古?の松島(=?島)」と結論を下した事がある。しかし1880年に鬱陵島を調査した後、日本政府は鬱陵島を「松島」、?島を「リヤンコ?ルト列岩」という名?に固定してしまった。結局、1880年に日本政府と外務省は、?島の古?の名?が「松島」だったことを知りながらその名?を捨てたところに問題の素地があった。
1883年以降に?行された各『水路誌』には、?島が「1847年にフランス船によって「初めて?見された」と記載され、松島(=?島)の?史は一切無視されてしまった。このような背景で、1905年には?島は日本人たちによって無主地と宣言され、島根?に編入されたのだった。

목차

서론
제1장 일본 외무성 사이트와 서양인들에 의한 울릉도 발견
제2장 시볼트의 ‘일본과 그 주변지도’와 서양인들의 독도발견
제3장 독도의 일본명이 ‘리얀코르토 암’이 된다
결론
【?考文?】
要旨

참고문헌 (15)

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