메뉴 건너뛰기
.. 내서재 .. 알림
소속 기관/학교 인증
인증하면 논문, 학술자료 등을  무료로 열람할 수 있어요.
한국대학교, 누리자동차, 시립도서관 등 나의 기관을 확인해보세요
(국내 대학 90% 이상 구독 중)
로그인 회원가입 고객센터 ENG
주제분류

추천
검색
질문

논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
박수철 (서울대학교)
저널정보
동양사학회 동양사학연구 東洋史學硏究 第115輯
발행연도
2011.6
수록면
337 - 372 (36page)

이용수

표지
📌
연구주제
📖
연구배경
🔬
연구방법
🏆
연구결과
AI에게 요청하기
추천
검색
질문

초록· 키워드

오류제보하기
1581年(天正9)2月に行われた京都御馬?は武威の宣揚であると同時に、織田信長の歌舞伎的特性が?在された祭りの場であった。黑い南?笠をかぶった信長の異形の姿や濃紅色のビロ?ドの南?椅子を登場させた行事の?子から、國?だけでなく國外の名聲をも念頭においた信長の志向を垣間見ることができる。先行硏究では信長が天皇に讓位を迫るために馬?えという軍事パレ?ドを行い朝廷と天皇に壓力をかけたとするが、筆者はこの見解に同意しかねる。先行硏究では1581年2月の京都御馬?え行事だけに注目しているが、馬?えは1581年1月安土ㆍ8月安土ㆍ1582年1月安土などと續く一連に行事である。このつながりを念頭において考察するべきある。安土と京都の馬?えは基本的に信長が武威の遊興と自らの名聲のために行った祭りであったが、單純な武士の祭りではなかった。信長が直屬の家臣?だけでなく、公家衆や一部寺院勢力、そして公方衆まで參加させようとしたからである。
信長は京都御馬?えに‘陣參公家衆’や‘扶持請公家衆’を?加させようとした。將軍の部下として戰に參加するいわゆる陣參公家衆は室町時代から存在した。ところが信長は陣參衆以外に自分から俸祿をもらう公家も‘扶持請公家衆’という名で武士家臣?に組み入れようとした。しかし京都御馬?えでは扶持請公家衆が參加しておらず、實質的には室町幕府時代とそれほど?りがなかった。よって先行硏究のように陣參公家衆が馬?えに參加したことを擴大解釋し、信長が旣存の公家衆を瓦解させたと評?するのは妥?ではない。ところで1582年(天正10)まで續く馬?え行事を調べてみると信長公家政策の違いを認めることができる。1582年1月、攝家出身の近衛前久が事實上陣參の一員として編入され、同年3月武田氏討伐に參加した。信長が攝家出身を陣參衆に組み入れたのは室町幕府と區別される大きい?化である。
信長が全ての攝家を陣參衆に組み入れたわけではないが、近衛前久のような公家でさえ戰に參加するいわゆる‘公家の武家化’あるいは‘公家の武家從屬化’を阻止することはなかった。これは公家に家業と學問を强制することで彼らを‘武’から遠ざけ、‘武威’を武家が獨占する近世と明らかに異なる点である。しかし、室町將軍が名家や羽林家の公家を陣參衆に組み入れたことはあるが、信長のように攝家を陣參衆に組み入れたことはない。近衛前久を陣?公家衆の一員としたのは從?見られない新しい現象であった。

목차

1. 序言
2. 公家 정책의 推移와 馬?
3. 馬?와 公家衆의 再編
4. 結語

참고문헌 (0)

참고문헌 신청

이 논문의 저자 정보

이 논문과 함께 이용한 논문

최근 본 자료

전체보기

댓글(0)

0

UCI(KEPA) : I410-ECN-0101-2013-910-000465341