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학술저널
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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제20권
발행연도
2007.1
수록면
203 - 222 (20page)

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短い友情    - 尹潽善(1897ー1990)と河合榮治郞(1891ー1944) -   日本はヨーロッパ諸國を除くと、植民地の支配の経驗を持つ唯一の國家である。日本が統治した植民地は西歐列强が支配した植民地とは比べることの出來ないほど、歷史的・文化的にとても密接な地域であった。当時の韓國を例にあげると、経濟的な格差は否定できないと言えども、精神文化の側面では著しい質的な差は見出せない。地政學的な要素を含めたこのような要因が、韓國民衆の激烈な抵抗を呼び起こした事は言うまでもない。ところで、植民宗主國である日本人とその支配下にあった韓國人の、第三國での接触はどんなものであったのだろうか。当時、アメリカと歐州に留學していた韓國人は極めて少數であったが、西歐人に祖國の日本殖民地に對する不当性と獨立の正当性を体当たりで力說する一方、日本と日本人に對して强い語調で貶していた。ところが、一部の日本の知識人は韓國人の行動を祖國愛に基づく純粹なものとして見なし、帝國主義という現實を乘り越え、新しい視角で國際關係を眺めようとした。  ここで論議しようとする河合榮治郞も、誰よりも崇高たる國家觀と人間主義の上に立っていた優れた學者であった。彼は一九二三年、イギリスへ留學、そこで朝鮮の靑年獨立運動家であり、韓國獨立後、第四代大統領になる尹潽善と出會い、ある國際問題討論會で口論を交わす。後日、尹潽善と河合榮治郞は二人ともその口論をそれぞれ文章にまとめて書き殘しているが、そこには彼らの愛國觀、価値觀、考え方の違いによってその內容は相反しているようかに見える。  この論文は二人が殘した回顧文を中心に、その事實が互いにかけ離れているところを突き詰め、そこにあらわれている当時の知識人における日․韓の視角の差を捉えて、またそれを乘り越えることにおいて、日․韓の望ましい將來があることを信じ、彼らのイギリス留學先で起こったある出來事の眞相を辿ってみた。  とりわけ、河合は尹潽善との口論により、植民地認識は多少とも変化をもたらすことになる。それは、植民地放棄論者までには至らなかったものの、微かでありながら民族自決を念頭に置きつつ、人道主義に基づいた理想的な帝國主義者として変貌するのである。言うまでもなく、これが河合の思想の脆さでもあるが、大正期において一部の知識人を除いて、植民地への無關心と言った当時の狀況からみると、この人道主義的な植民論も望ましい日韓關係の爲にも硏究の視野に入れなければならないのである。

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