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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
강성국 (서울신학대학교)
저널정보
한국일어일문학회 일어일문학연구 일어일문학연구 제120권
발행연도
2022.2
수록면
195 - 212 (18page)

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キリスト教を排撃し、反キリスト教的思想を流布するために成立した排耶書は、 主に思想史的かつ歴史的な側面においてのみ考察されており、文学的側面においてそれを考察し評価する研究はほぼ為されてこなかった。ところで、『吉利支丹物 語』を筆頭にして登場した「キリシタン俗書」類は史実を基盤にしながらも著者の 文学的営為が認められる作品群である。そこで、筆者は『吉利支丹物語』の内容に おける、史実との一致点と相違点を考察し、そこから著者の文学的創作性が認めら れるところを分析した。 『吉利支丹物語』は1639年(寛永16年)の作者未詳の著述で、キリスト教の民衆に おける拡散を抑制するために、分かりやすい物語形式で書かれた排耶書である。同 書は日本におけるキリスト教の伝来と布教、迫害されていく経緯などを十三の逸話 で展開している。内容から13の逸話を三つの部分に分けると、1から3は「キリスト 教の伝来と拡散の契機」、4から8は「迫害への転換の課程とその要因」、9から13 は「迫害の歴史」として規定することができる。 この中で、6番目の逸話は、キリシタン側の伝道者(イルマン)ハビアンと、仏 僧の伯翁居士との宗教論争を取り上げているが、この二人は共に、歴史的に実在し た不干斎ハビアン(1565∼1621)をモデルとして作られたキャラクターである。この ようなキャラクターの創造および配置は、物語全体の構成と流れを考慮して為され たものと考えられる。このような積極的な作為は著者の文学的な営為として認める ことができ、排耶書における文学的な評価の可能性を示す例と言える。

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