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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
강성국 (서울신학대학교)
저널정보
한국외국어대학교 일본연구소 일본연구 일본연구 제99호
발행연도
2024.3
수록면
51 - 68 (18page)

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切支丹宗門来朝実記 は「実記」という言葉からわかるように歴史的記録であることを標榜しているが、その細部は史実と異なる部分を多数含んでいる。本稿では 切支丹宗門来朝実記 の文学としての側面に焦点を当てて、作品のエピソードの中の史実と異なる部分にどのような創作的要素が加味されたのか、さらにそれがどのような効用を持つのかを考察した。 これを通じて明らかになった 切支丹宗門来朝実記 の中の創作的試みは次の通りである。まず、キリシタン宣教の初期における中心人物を織田信長とウルガンに設定して物語を展開しているが、最も興味をもたれそうな人物を主要キャラクターに設定することで、一般読者たちの理解度と没入度を高めている。第二に、南蛮国の大王が日本を侵略するためにウルガンを派遣するというエピソードが西遊記など中国の通俗小説に出て来そうな場面として創作されているが、これは「キリシタンが魔法を行う」という偏見を利用し、読者の好奇心と興味を刺激する試みであると理解される。第三に、信長が将軍の教書を捏造してウルガンを京都に引き寄せるという作為は、信長の悪さを強調することで物語への没入度を強化している。第四に、南蛮寺の建設過程で延暦寺側と信長が対立するというエピソードは、 平家物語 の中の延暦寺と平家の武士たちとの対立の場面を借用したものであると考えられる。 切支丹宗門来朝実記 は、そのタイトルから歴史的記録であることを標榜しているだけに、「史料として無価値である」という批判から自由ではない。しかし、そのようなタイトルを文学的許容として認めるならば、大衆文学の一つとしてより肯定的な価値評価が可能であると考えられる。

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