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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
박상현 (경희사이버대학교) 김양숙 (부산대학교)
저널정보
한국일본문화학회 일본문화학보 日本文化學報 第 53輯
발행연도
2012.5
수록면
125 - 141 (17page)

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京城帝?大?で「朝鮮人」として?時の「?文?」(=日本文?)を?攻した者は、たった二人しかいなかった。徐斗銖と崔星熙がその人たちだ。崔星熙は卒業後、?攻を?えて法?科に進?してしまうが、彼女と違って徐斗銖は卒業した後、梨花女?で「?文?」(=日本文?)を?える?員となって日本文?に?する評論や論文などを?表しつづけた。その中でも特に注目されるのは、1942年11月2日から12日にかけて?日新報に連載した「防人歌:稚拙な移植」といった防人歌の朝鮮語?である。そこには『万葉集』?20や?14に納められている防人歌が朝鮮語で?されている。
一方、韓?で詩人として、そして??家として幅?く知られている金憶は『万葉集』からいくつかの作品を取り上げ、朝鮮語で??した。そしてそれらをまとめて、「万葉集??」というタイトルで1943年7月28日から8月31日にかけて?日新報に?けて?載した。また、彼は「鮮?愛?百人一首」を通じても『万葉集』の作品を植民地朝鮮の人?に紹介した。
徐斗銖と金憶が『万葉集』の作品、中でも防人歌を朝鮮語で?して、植民地朝鮮の人?に移植しようとした理由は明確だった。彼らにおける??意?は朝鮮人の皇?臣民化だった。このように二人における??意?は基本的には同?だったが、その??のスタイルはかなり異なった。徐斗銖は『万葉集』の作品を朝鮮語で??した際、5?7?5?7?7といった短歌のリズムを保ちつつ?した。一方、金憶は短歌の音?律を兩章時調型で?した。そして、この違いは彼らにおける?問的背景からきたと考えられる。すなわち、文??や『万葉集』の注?書を身につけることによって可能だった徐斗銖の??スタイルは、彼が京城帝?大?で近代的?問としての「?文?」をしっかり?んだからこそできたことであった。

목차

1. 들어가면서
2. 서두수와 김억의『만엽집』번역스타일
3. 서두수와 김억의『만엽집』번역의도
4. 서두수와 김억의 학문적 토대
5. 나오면서
?考文?
要旨

참고문헌 (1)

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