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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
고미야 히데타카 (계명대학교)
저널정보
역사학회 역사학보 歷史學報 第226輯
발행연도
2015.6
수록면
227 - 255 (29page)
DOI
10.16912/tkhr.2015.06.226.227

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本稿は883年新羅が派遣した入淮南使の事例をもとに、 對唐藩鎭交涉の政治的側面を分析を通じて、 9世紀末新羅の遣藩鎭使の持つ、 外交に類似した性格を明らかにした。
入淮南使は新羅朝廷から淮南藩鎭へ派遣された外交使節團と同じ形態を有する使節團である。 名稱が‘入+目的地+使’という構造を有する點、 大使、 錄事という官職を有した點、派遣對象地域が藩鎭であるという點からこれらが推察される。
新羅が入淮南使を派遣した背景には憲康王による文翰機構の改編と黃巢の亂という新羅·唐兩國の內政問題があった。 前者について、 憲康王は瑞書院、 崇文臺などの文翰機構を設置することで、 賓貢及第者を積極的に採用しようとした。 後者について、 新羅は黃巢の亂で僖宗が蜀に避難したため援軍支援を決意した。 ただし淮南藩鎭高騈は朝廷內部の派閥爭いに敗北し、 反側的立場へと變化しつつあった。 憲康王は文翰機構の改編と高騈の政治的立場の變化により、 賓貢及第者として淮南藩鎭で活躍した崔致遠を?國させるために入淮南使を派遣していたと考える。
憲康王は賓貢及第者を積極的に登用しようと渡唐留學振興策を推進していたため、 唐朝廷と淮南藩鎭という唐內部の2つの勢力の對立に卷き?まれないよう巧妙に交涉を展開した。 すなわち9世紀末新羅が行った對唐藩鎭交涉は、 憲康王の渡唐留學振興策の中に位置づけることができる。

목차

Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 入淮南使의 構成
Ⅲ. 憲康王代 入淮南使 派遣의 背景
Ⅳ. 憲康王의 渡唐 留學 推進
Ⅴ. 맺음말
[참고문헌]
[日文抄錄]

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