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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
저널정보
한국일본문화학회 일본문화학보 日本文化學報 第 27輯
발행연도
2005.11
수록면
283 - 298 (16page)

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本稿は、日本人の心の故?といわれる富士山を朝鮮通信使がどのようにみていたかを考察するために書かれたものである。江?時代、朝鮮は12回の朝鮮通信使を日本に派遣した。彼らは東海道を上りながら富士山を目のあたりにして、その感想を使行?に書き記している。
1次通信使は富士山を「ただ一塊の大きい石」としてみていた。すなわち、初夏でも山頂に雪を被っである、新奇な山ではあるものの、山それ以上のなにものではなかった。言い換えれば、自然景?としての富士山にすぎなかったのである。そして富士山に?する、このような認識は3次通信使にいたるまで?わらない。
4次通信使からは富士山を詠んだ漢詩が登場するが、これと共に富士山を見る通信使の視角も?わる。すなわち、4次通信使の副使、金世糠は「富士山」と題する漢詩のなかが富士山を仙界として認識していた。もちろん、彼は富士山と共に朝鮮も仙界と認識しているが、とにかく、それまで自然景?に過ぎなかった富士山がここから仙界に?わったのである。そしてこのような認識は5次通信使の場合にも同じである。

목차

1. 시작하는 말
2. 일본인과 후지산
3. 자연경관으로서의 후지산
4. 선계(仙界)로서의 후지산
5. 끝내는 말
【?考文?】
要旨

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