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자료유형
학술저널
저자정보
박수철 (서울대)
저널정보
동양사학회 동양사학연구 東洋史學硏究 第147輯
발행연도
2019.6
수록면
303 - 335 (33page)
DOI
10.17856/jahs.2019.6.147.303

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織田信長と足利義昭の關係は、1569年(永祿12)の9ヶ条(「殿中御掟」)や1570年(元龜1)の5ヶ条(「條々」)、そして1572年の17ヶ条(「異見十七ヶ條」)に端的に表われる。1568年9月上京以降、兩者の關係が次第に悪くなり、信長は、1569年1月には室町幕府の奉行人を統制し、1570年1月には義昭に対して‘天下之儀’を委任するように强制した。1572年9月に入ると義昭の行動を全面的に非難するに至り、結局、兩者の関係は破綻することとなった。
1573年7月、信長が挙兵した義昭を殺さず追放するにとどまったのは、信長が神佛の加護である冥加観念や天道思想を意識したからである。
上京以降、信長は‘天下靜謐’をために朝廷を重視し、天皇に対する保護政策を積極的に実施した。禁裏を大々的に修理し、さらにたくさんの銭と物を献上した。その理由は信長にとって、将軍義昭と浅井・朝倉・本願寺など敵對勢力の行動を抑制するために天皇という存在が必要であったからである。信長はまた、天皇という存在を‘靜謐(平和)’と冥加の指標として見なして重視した。
もちろん、信長は‘武篇’をもっとも大事にした。1573年、信長は越前國掟を定め“第一武篇簡要候”と、武士の主従関係を決定する忠の論理を強調した。しかしながら、‘武篇’と‘冥加’とは別のもの、對立的なものではなく、両者がともに併存する存在であった。信長が義昭を追放するとき、‘武篇’をもとにする忠の論理とともに、冥加(神佛)の象徵である天皇にたいする義務の疎かさ(等閑)を指摘したのである。信長は神仏とともにする‘武篇’=‘武者道’を追求したように、神佛と‘武篇’とを對立的に把握しなかった。

목차

Ⅰ. 서언
Ⅱ. 信長의 上京과 ‘天下之儀’
Ⅲ. 信長의 쇼군 追放과 天皇·神佛
Ⅳ. 결어
참고문헌
〈日語抄錄〉

참고문헌 (31)

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