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저널정보
단국대학교 일본연구소 日本學硏究 日本學硏究 제15권
발행연도
2004.1
수록면
3 - 35 (33page)

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本稿は、陶磁をめぐる韓半島と日本との技術交流・文化交流に關する試論である。このテーマは、いくつもの大きなトピックスを孕んでいるが、今回は、壬辰倭亂期前後80年から100年ほどにわたる唐津燒の変遷をとりあげた。 中世までの東アジアは、廣い意味で中國を中心とする中華世界システム內部で機能する朝貢交易の枠組みの內にあったが、公の交易のかげには、常に私貿易の集団が存在した。 とくに14世紀から16世紀にかけて猛威をふるった倭寇は、中世東アジアの略奪的な私貿易集団の代表格である。 草創期の唐津燒を主導した波多氏は、自らを「海賊大將」と呼ぶ、倭寇の棟梁でもあった。草創期の唐津は、海賊大將の時代を反映しているといえるだろう。波多氏は、北九州という地の利を生かし、中世的な海のネットワークを利用して自領に朝鮮王朝の技術を呼び寄せ、当時最先端であった割竹式登り窯を築いて窯業をはじめた。そこには、おそらく中國沿海の陶工たちの技術も生かされたに違いない。 壬辰倭亂以降、唐津古窯の陶工たちは、思わぬ運命に翻弄される。彼等には、秀吉の朝鮮侵略を契機に渡來した「新しい朝鮮陶工集団」との技術協力と、近世消費社會にむけての大規模な生産擴大が待っていた。彼らは、最盛期を迎えた京都・大阪・堺の燒物市場に「高級ブランド」の茶陶と使いやすい日常雜器を提供する。この時代の唐津窯祉は、一說に200個所とも300個所とも言われている。 この爆發的な生産の擴大は、それまで日本では知られなかった「白磁」という新しい技術開發につながっていった。1610年代の白磁の誕生が、いかなる朝鮮陶工集団によって担われたかは、謎である。しかし複數の出自と技術をもつ、複數の集団が關与したことは、間違いない。安土・桃山から江戶へという、時代の流れに押し流されながらも、「鎖國」以前の東アジアの海は、依然として流動的であり、壬辰倭亂によって、途絶えたはずの北九州と朝鮮王朝との交流も、水面下では活發に動いていたのであり、ヒトもモノも行き來していたからである。 そして家光による鎖國とほぼ時期を同じくする1637年に至ると、再び狀況は急展開する。有田・伊万里地區の窯場は、白磁中心に整理・統合され、窯業は藩の経濟と結びつき、嚴しい統制のうちにおかれた。だが、したたかな伊万里は、この時期にも中國を手本として、色繪という「さらに新しい技術」の開發に成功する。鎖國を分岐点として、伊万里は、朝鮮王朝の技術と袂をわかち、古九谷、柿右衛門、鍋島をはじめとする獨自の道を步みはじめた。技術は完全に國産化し、獨自路線を確立する。 そして、國內市場の成熟によって技術革新をとげた伊万里は、折からの中國市場の混亂を受けて、オランダ東インド會社からの要請を引き受け、以後100年間に渡って世界各地に輸出されてゆく。 朝鮮陶工の渡來によって生まれた陶磁の技術は、唐津燒から伊万里燒に変身し、「鎖國」を契機に國産化され、國際化されて、世界市場に乘り出して行ったのである。

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