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논문 기본 정보

자료유형
학술저널
저자정보
権静 (培材大學)
저널정보
한국일본문화학회 일본문화학보 日本文化學報 第 33輯
발행연도
2007.5
수록면
221 - 235 (15page)

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本論文は、韓半島?中??日本の?王の尊?を比較?討したものである。各自、「?王」?「皇帝」?「天皇」との??を用い、一見お互い無?係のように見えるが、韓半島(新羅)も日本も王が中心となる律令?家の整備期に至って、王の尊?を用いるようになったのであり、それは中?の中華思想を各?に取り入れ、各?の小中華世界像を確立させた結果であった。新羅と日本が、同じく中?の影響を受けながらも、王の尊?に違いを見せるのは、當時の中?との密接度の違いから?るものである。
日本の場合、中?とは海を隔てているという地理的特?から中?の中華思想を取り入れながらも一定の距離を置くことができ、「天皇」との??を用いられた。しかし、「皇」との文字は中?の「皇帝」と重なり、中?側では容認しがたい??であったため、中?への上表文では「主明?美御?(スメラノミコト)」という天皇の和訓を用いていたと思われ、中?との衝突をさけていた。
韓半島の場合、日本と違い中?と密接な?係を保ち、特に新羅は唐の力を借りて三?を統一させたである。さらに「?王」との文字が見える造像銘が作られた673?689年は文武王の時代であり、彼は唐に?在しその文物を?んだ金秋春(武烈王)の息子である。三?を統一させた文武王は一時唐と距離を置こうとするが、それを理由に唐が674年文武王の官爵を奪おうとしたため、675年文武王は遣使入貢して謝罪し、再び?封?係を樹立させた。?封?係は中?の力を借りて周?の?より優位に立てるという利点もあるが、一方??秩序が唐によって規制されるという面もあり、それは692年には武烈王の廟?が唐の太宗文皇帝と同じだという理由で、改?させられるという一例によく示し出されている。
このように、新羅と日本は中?とのあつれきをうまく避けながら、各?の王の尊?を通じて、各自の小中華思想を表出させていたのである。

목차

1. はじめに
2. 日本の天皇?
2. 韓半島の?王?
3. おわりに
【?考文?】
要旨

참고문헌 (0)

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